2017年04月30日

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」

衝撃でした。
と、ともに、あまりのやり口の酷さに怒りすら覚えました。

いわゆる「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。

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1988年終盤から1989年初頭に起きた事件。

不良少年グループが、女子高生を拉致監禁。
その上、仲間内で輪姦し、様々な陰惨な暴行を加えた挙句死亡させ、
その遺体をコンクリート詰めにして東京湾岸へ放置したという、
80年代を代表する凄惨な殺人事件です。

当時私も、この被害者の女子高生(また加害者少年達)と同じ年代の
高校生でしたので、余計にこの事件はインパクトがありました。

詳しい事件の全貌なんかは、様々な文献やニュース、webサイトなどに
つまびらかにされてますが、読むだけでも辛いほどです。

当時の報道で、今では想像もつきませんが、一面空き地というか、
工事現場の吹きっさらしの埋め立て地(江東区)が映ってたのが
とても印象に残ってます。

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当時は、やっぱり東京っておっかない所なんだなーと思ってました。
(まあ今も思ってますが)

東京のニュースというと、自分とはどこか遠くの、
違う世界のニュースのような感覚でしたが、
この事件に関しては、やはり同世代の人間達により、
同世代の少女が犠牲になった、という点で、かなり身近に感じた事件でした。

joshi04.png

今、あの場所は太い道路になっているそうです。
また、2020年の東京五輪のために再開発もされているとか。

犯人達は有期刑で、すでに全員出所しています。

名前を変えたり、また再犯を犯したり、行方が分からない加害者もいるとか。

そう考えると、自分の生活してるすぐそばにいる可能性もあるわけですよね。。

89年というのは、バブル最高潮の反面、
この事件や、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(所謂「宮崎勤事件」)、
中国の天安門事件、昭和天皇の容体ニュースといった、殺伐とした1年でしたね。。

<おわり>


posted by エイト at 10:45| Comment(0) | 社会・事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月17日

カルガリー冬季五輪大会

「フライング・ウーマン」の異名をとった伊藤みどりが衝撃でした。

1988年開催のカルガリーオリンピック。

calgary_olympic.jpg

私、出身が雪国の方なので、冬のスポーツも結構関心はあるんです。
あまりアイススケートの盛んな地域ではなかったですが、スキーは小学生からずっと授業でやってました。

カルガリー大会ですが、まあこう言うと失礼ですが、やはり冬季五輪って
どうしても夏季五輪に比べると見劣りするというか、地味な印象はありますよね。

それと、屋外での競技が多いので、自然との戦いっていうイメージもあります。

この大会、あの鳥人マッチ・ニッカネンが三冠を達成したり、
いろいろと見所もあったはずなのですが、私が覚えているのは女子フィギュアスケートのみ(笑)。

というか、あの衝撃がすごすぎて、他が吹っ飛んでしまった感じかもしれません。

当時、フィギュアスケートはまだ規定(コンパルソリー)があって、
日本代表の伊藤みどり選手は、ショート&フリーには期待がかかってましたが
どうしても苦手なコンパルソリーでいつも順位が伸び悩む傾向にあったため、
前評判でも、後の「アルベールビル冬季五輪」時のような金メダル候補には届かない状態でした。

世間(日本以外)の注目はもっぱら、女王カタリナ・ヴィットvsデビ・トーマスの
カルメン対決(でしたっけ?)であり、実際私もその戦いを固唾を飲んで観ていました。

案の定、伊藤みどりはコンパルソリーで10位。
入賞は狙えますが、メダルまではちょっと厳しいか、という位置でした。

しかし、彼女のショートプログラムを見て驚愕。
さらにフリー演技でも度肝を抜かれて、私は完全にノックアウトされました(笑)。

YouTubeなんかでも、当時の演技を見られると思いますので、まだ見たことない方は是非♪


 
posted by エイト at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

「JR発足/国鉄民営化」

JRは、1987年(昭和62年)4月1日発足だそうです。

当時は、私は中学生でした。
国鉄民営化なんて言われても、当時はよく分かってませんでしたし
さほど興味があったわけでもありません(笑)。

私の家から10分程歩くと、電車の操車場があります。

当時、中学校の部活が終わって、
いつも一緒に帰る3人で帰路につくんですが、
学校からの帰路で、私の家が学校に一番近いので、
まず私から抜けていくはずなんです。

が、当時、必ず最初の別れ道で、何故かジャンケンをし、
私が負けると、そこで帰れず(笑)、3人について
行かなければならないルール(?)があったのです。

次に抜ける事になる友達(Aとする)も、
自宅への別れ道の所でジャンケン(笑)。

最終的に、操車場を越えて行くまで
歩かされるはめになるわけです(笑)。
あ、特にいじめとかってわけではなく、
4人それぞれがそのジャンケンごっこを
楽しんでる感じだったんですよ。

結局ジャンケンで私が勝っても、
何だかんだと理由をつけられ、結局は
最後の別れ道までついていく事が多かったのですが(笑)。


話が逸れましたが、そんなわけで、操車場を越える橋を
4人で渡って行くわけですが、その時に、
「JR」という新しいロゴが入った車両があると、
4人してはしゃいでいた想い出があります。

images.jpg

大人になった今、再度見ると、国鉄時代の
「JNR」のロゴの方が好きだったりしますが(笑)。

でも逆に、最近のものは結構「シンプル」デザインが
多かったりしますし、私も今はごてごてしたものより、
シンプルな方が好きなので、そう考えると、
この「JR」ロゴは、なかなか秀逸なのだと思います。

時を同じくして、この中学時代、部活の遠征で、
人生で初めて新幹線に乗車(笑)。

1987年か1988年でしょうか。

1985年に上越新幹線が全線開業したので、2年遅れといった感じですね。

新幹線に乗車と言っても、中学校の部活の遠征ですから
東京(上野)まで行くわけではなく、長岡〜新潟まででした。

それでも部活メンバーみんなではしゃいでいた記憶があります。

「新幹線って、窓開かないの?!?!!」

これがたぶん初めて乗車した時の感想(笑)。


ここ数年、私の想い出の操車場も
きれいに整備され、当時はボロボロで歩道もなく、
通る車にへたしたら轢かれてしまうくらいの、
狭くきったない橋も、大きくゆるやかな橋に架け替えられました。

操車場本体も、昔は草っぱら同然で、
だだっぴろい敷地に、錆びた大きい車両車庫やらが
あったのですが、今はもうその面影もあまりなく、
区画整備によって、きれいな建物が建っています。


あの、中学時代の操車場での想い出。
あれはもう、自分の心の中の風景でしか
想い描く事ができなくなっています。

あの時の、帰り道の操車場を思い出すと、
当時の楽しかった想い出が、
懐かしくもありそして少し切ないような、
鼻の奥がきゅんと痛くなるようなそんな感情が出てきます。

もう歳なんでしょう(笑)。


結局、ろくにJRの話も書かずに、
自分の想い出話がほとんどでしたが、
JR民営化には、私にとっては、そういった想い出が顔を出す、
とても印象深い出来事だったのでした。


国鉄終焉とJRの誕生 昭和六十二年の鉄道旅行(鉄道タイムトラベルシリーズ4)

JR鉄道図鑑 上巻 (イカロス・ムック)

~姿を消した列車から現行の列車まで~JR東日本 特急・急行・快速 駅ホーム自動放送+音片 オリジナル音源集
posted by エイト at 17:17| Comment(0) | 社会・事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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